【埼玉】狭山事件・石川一雄さん家族葬、福島瑞穂参院議員ら100人近く参列「差別が何たるかを改めて気づかせてくれた」

勇気をありがとう――。1963年に埼玉県狭山市内で女子高校生が殺害された「狭山事件」で「部落差別が生んだ冤罪(えんざい)」を訴え、裁判のやり直しを求め、その途上で亡くなった石川一雄さんの葬儀が20日、同市内で営まれた。妻の早智子さん(78)が「60年余の戦いを無駄にしない」と再審を引き継ぐ決意を述べる中、参列した被差別地域出身の人たちからは、石川さんの生き方に支えられてきたことへの感謝の声が聞かれた。
石川一雄さんは11日夜、入院先の病院で86年の生涯を閉じた。家族葬として営まれた葬儀には部落解放同盟中央本部の西島藤彦委員長、福島瑞穂参院議員、支援組織の事務局長を務めるルポライターの鎌田慧さんら100人近くが参列した。
喪主としてあいさつに立った早智子さんはまず、「彼(一雄さん)は冤罪を晴らすという、ただ一筋の道を走り続けてきました。苦しい、厳しい戦いだった」と、その生涯を振り返った。5、6年前に「死んだら散骨してほしい」と言い残していたことを明かし、「亡くなるまで保護司の観察は解けず、選挙権はなく、人として多くの権利を奪われたままだった。何者にも縛られず、自由気ままに海原を漂いたかったのだと思う」と、その心中をおもんぱかった。
悲しみを懸命にこらえながらの10分に及んだ別れの言葉は「もう頑張らなくていいよ。大変だったね。あなたの無念はきっと晴らすから。一雄、ありがとう」という言葉で締めくくられた。
祭壇の遺影は「私は無実です」と書かれたランニングシャツ姿。冤罪を叫び、道半ばで倒れた石川さんの最期をせめて「無実」の言葉で見送りたいという、早智子さんらの願いだったという。
葬儀には被差別地域出身の人たちも多数駆けつけた。県内の80歳の女性は「私自身、被差別部落出身であることを隠して生きてきた。理不尽な目にも遭いました。そんな時、差別の不条理に立ち向かったのが石川さんでした。黙っていてはだめ、声を上げるんだと、教えてくれた。私に『生き直し』を迫る恩人以上の存在でした」。
被差別地域出身であることを公表して弁護団長を務めている、中山武敏弁護士(現在療養中)の親族の女性は「部落差別に基づく見込み捜査が事件の原点。差別が何たるかを改めて気づかせてくれた」と語った。
参列者の中には、足利事件(90年)で再審無罪を勝ち取った菅家利和さんの姿もあった。千葉刑務所で一時期ともに過ごした“獄友”である。「(石川さんは)『無罪になるまで死ぬものか』と話していた。無念でしょう。残念でなりません」と、声を振り絞った。【隈元浩彦】
3/21(金) 12:30配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/41f7638fc42d9d1a0e985ea8162454d2f474bb6b
引用元: ・【埼玉】狭山事件・石川一雄さん家族葬、福島瑞穂参院議員ら100人近く参列「差別が何たるかを改めて気づかせてくれた」 [樽悶★]
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