【クーリエ・ジャポン】かつての日本社会党が支持を集めたのは「多様性」と「知力の高さ」ゆえだった
佐藤 岸信介、つまり晋三元首相のお祖父さんは、戦後に公職追放が解かれて政治活動を再開するにあたって、まず社会党に入党を希望して実際に申請もしています。
岸が戦前から商工省の官僚、さらに商工大臣として目指していた「国家統制による平等」を戦後の日本で実現するには、社会党のほうが近道だ、という判断があったからです。
これに対して当時の社会党は「あなたは戦犯だからダメだ」と断ったわけですが、戦後に国民皆保険制度や国民年金、最低賃金法など現在も存続する日本の社会福祉制度を確立させたのはのちの岸内閣(1957~60年)でした。
●新国家の進歩思想の受け皿
池上 こうして関わった人物たちの名前を見ていくだけでも、社会党という政党が「なんでもあり」の政党だったということはよくわかりますね。
マルクス主義者ではあるけれど共産党には賛同できない人、また必ずしもマルクス主義の信奉者ではないけれどリベラルな考え方を持つ知識人は戦前・戦中もいて彼らも共産党同様に弾圧されましたし、キリスト教徒や創価学会の会員たちなど多くの宗教者も弾圧されていました。
敗戦と同時に、それまで戦争を推進してきた人々と入れ替わる形で新国家建設の担い手として躍り出てくるにあたって、その多くは「これまでのような軍国主義的な日本はもうイヤだ。しかし共産党に入るのは御免だ」と考えた。そうした人々がとりあえず小異を捨てて大同につくと決めて結成されたのが社会党という政党だったということでしょうね。
その結果として日本社会党は実に雑多な思想の持ち主が集まる、非常に翼幅の広い政党になりました。
クーリエ・ジャポン 2025/03/22
https://news.yahoo.co.jp/articles/74f788f4122bc781c9fae901591e8450b2695485
引用元: ・【クーリエ・ジャポン】かつての日本社会党が支持を集めたのは「多様性」と「知力の高さ」ゆえだった [おっさん友の会★]
ポピュリズム政党が勝ちやすいからな
昭和にあったのかな?
The post 【クーリエ・ジャポン】かつての日本社会党が支持を集めたのは「多様性」と「知力の高さ」ゆえだった first appeared on TweeterBreakingNews-ツイッ速!.
コメント一覧