理由を知ればゾッとする…酒浸り作家が断酒で体験した「酒の本当の怖さ」とは?
とはいえアルコール依存者の断酒成功率はほんのわずかであり、厳しい道が待ち受けている。
そして、断酒を継続する上でやはり避けて通れないのが「しらふで飲み会を楽しめるのか?」という問題だった。本稿は、樋口明雄『のんではいけない 酒浸り作家はどうして断酒できたのか?』(山と溪谷社)の一部を抜粋・編集したものです。
●酒ではなく空気に酔っていただけ!?
呑み会とかバーベキューなどの現場は大いなる試練だった。
まずはビールで乾杯。次は焼酎にするか、それとも日本酒?なんて周囲がいってる中、たった独りでノンアルコール飲料やウーロン茶を飲む寂しさといったらない。
しかも「お前が断酒?冗談だろ?」と、嗤われてしまう。
「無理せずに、たまには少しぐらい呑めば?」なんて声をかけてくる者もいる。
甘言にのせられてちょっとでも呑んでしまえば元の木阿弥。たちまち振り出しに戻ることになる。
ところが、周囲の人間がどんどん酒に酔っていく中で独り素面(しらふ)でいても、意外に悪くないことに気づいた。
自分は自分でちゃんと酒なしで浮かれ騒いでいる。ときとして、呑んでいる者よりもよっぽど酔っ払ったみたいに莫迦(ばか)騒ぎをし、いつの間にか座の会話の中心になっていたりもする。
ノミニケーションなどといわれるように、それまでは酒あっての歓楽だと思い込んでいたが、実はそうじゃなかったことに気づかされた。
「呑み会」「パーティ」なんていう、その場の空気に酔っていただけだったのだ。
しかも、自分の周囲の人間たちが、杯を重ねるうちに、だんだんと酔っていく、その変貌ぶりというか過程が見えて、なかなかに興味深い。
しかも自分は酔っていない。
座がひけたあと、ちゃんと車を運転して帰宅できるから素晴らしい。
おかげでひとつ難関を乗り越えた気がした。
●アルコールはWHOも認める
危険薬物の一種
もしも宴会に酒がいらないのであれば、そもそもアルコールってなんだろうと思う。たしかに酒を呑むと羞恥(しゅうち)心が
なくなったり、やる気が出たりすることはある。呑兵衛たちはそれがゆえに酒は潤滑剤だといっている。
ところが実際、酒を呑まずに宴会に参加し、呑んでいる人たちに負けず劣らず興奮して騒げるんだから、そんな潤滑剤は必要ないんじゃないか。
だとすれば、自分は今まで酒にすっかり騙されていたのではなかろうか。
【中略】
そもそも酒は(驚いたことに)ダウナー系のドラッグであり、神経を鎮静するものだという。だから飲酒と鬱とはごく近い関係にあるといわれる。
すなわち人が酔っ払って浮かれ騒ぐのは興奮作用ではない。アルコールは脳内の、とくに前頭葉と呼ばれる理性をつかさどる中枢に作用し、神経を麻痺させることによって一時的に感情のブレーキを外してしまう。
それが高揚感や多幸感をもたらしたり、心をリラックスさせたりする一方で、理性のたがを外して人格を変え、素面のときにはとてもできないような行動をとらせてしまう。
酔ってハイになるというのは、神経伝達物質ドーパミンによるものだし、自分が強くなった気がして喧嘩をしてしまうのは決して勇気なんかではない。たんに恐怖心と抑制が麻痺しているだけのこと。
酔ったから本音が出る。人の本性を酒が暴く。
そんなことがまことしやかにいわれる。しかしそうではなく、酒が脳を麻痺させ、人が理性で抑えていた良識をとっぱらってしまうのである。
しかもその効果はずっと続くわけではない。酔いが醒めてもなお浮かれ騒ぐ人間なんてまずいない。
むしろ酒が抜けたとたん、すっかり元の人間に戻り、酔っ払ってしでかしたおのが行為を深く恥じ入ることになったりする。
すなわち私が阿佐ヶ谷ガード下の店で乱痴気騒ぎをしでかしていたのは、酒が勇気をくれたためではなく、理性を麻痺させて社会常識というルールを忘れさせたからというわけだ
(編集部注/筆者は社会人時代、東京・阿佐ヶ谷でしばらく暮らしガード下の居酒屋に通っていた)。
ダイヤモンドオンライン
2025年3月18日 6:00
https://diamond.jp/articles/-/360605
引用元: ・理由を知ればゾッとする…酒浸り作家が断酒で体験した「酒の本当の怖さ」とは? [おっさん友の会★]
気づくの遅すぎ
所詮気を紛らわせるだけで何の生産性もない
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