ネコは驚異的な「柔軟性」と「バランス感覚」を持ち合わせる動物として知られています。高所から落下しても、空中で素早く体勢を立て直し、四肢でしっかりと着地する「立ち直り反射」の能力は、古くから人類を魅了してきました。この能力を解明しようと、20世紀初頭には連続写真の技術を使って解析が行われましたが、さらなる興味と探求心が科学者たちを突き動かし、1950年代には**「微小重力下でネコを落下させる」**という奇妙な実験が行われたのです。
一見すると突飛に見えるこの実験。しかし、その結果は宇宙飛行士の安全確保に役立つ知見をもたらし、人類の宇宙開発の一助となることになりました。
参考文献
ScienceAlert
Scientists Put Cats in Microgravity to See What Would Happen
名古屋大学
ネコの「立ち直り反射」と連続写真技術
ネコの落下時の動作が本格的に科学的研究の対象となったのは、19世紀末のことです。フランスの科学者エティエンヌ=ジュール・マレーは1894年、連続写真技術(クロノフォトグラフィー)を用いてネコの落下を毎秒12フレームで撮影しました。その写真には、空中でネコが背面から素早く体勢を反転させ、見事に四足で着地する様子が克明に記録されていました。
この研究は「ネコは何を目印に姿勢を制御しているのか?」という疑問を残しつつも、ネコが持つ優れた身体能力への理解を一歩進めたのです。しかし科学の探求はそれで終わりませんでした。
微小重力での奇妙な実験――ネコは着地できるのか?
1940年代から50年代にかけて、科学者たちは航空機を使って**「微小重力環境」**を一時的に作り出す方法を発見しました。それが「パラボリック・フライト(放物線飛行)」です。航空機が急上昇後にエンジンを切り、放物線軌道を描くように自由落下することで、機内は数十秒間の微小重力状態に包まれます。
この環境を活用して、アメリカ空軍航空宇宙医学研究所(USAFSAM)は「ネコは微小重力下でも着地能力を発揮できるのか?」を確認するための実験を行いました。
実験の内容
- 1947年:オハイオ州上空で実験が実施。機内の微小重力環境下でネコを放ち、その動作を観察。
- 結果:ネコは上下の方向感覚を失い、ふわふわと宙に浮かぶ様子が見られました。しかし完全に混乱することはなく、ゆっくりと落下する方向を把握し、空中で身をひねって着地しようとする動きが確認されました。
この結果は、重力が限りなく弱い環境でもネコが「反射的に姿勢を制御しようとする本能」を持っていることを示すものでした。
耳石器官の役割とさらなる研究
続く1957年には、8匹の子猫を対象にした実験も行われました。研究者たちはこの実験について「ネコの平衡感覚を司る耳石器官が微小重力下でどのように機能するかを明らかにする」ことを目的としたと述べています。
耳石器官は、内耳に存在する平衡感覚を担う重要な部位です。重力が極端に弱い状況下でこの器官がどのように反応し、身体の姿勢制御にどれほど影響を与えるのかが調査されました。
宇宙飛行士の訓練に応用される「ネコの立ち直り反射」
一連の実験を経て得られた知見は、意外にも人類の宇宙開発に役立つことになります。宇宙飛行士は微小重力環境下で足を滑らせることがありますが、着地時に背中から落下することは命取りです。なぜなら宇宙服の背中に装着された生命維持装置が衝撃で故障する恐れがあるためです。
NASAはこの問題を解決するため、ネコの「立ち直り反射」に注目しました。ネコは空中で自分の身体を素早く回転させ、姿勢を立て直す能力を持っています。この動作の原理を研究することで、宇宙飛行士の**「姿勢制御訓練」**が確立されました。
1969年にはスタンフォード大学の研究者が、「自由落下するネコはねじれた円柱のように動き、そのねじれを元に戻すことで体勢を制御している」と報告しています。この研究は、宇宙飛行士が無重力下で自分の身体をねじって姿勢を立て直す際の訓練方法に活用されているのです。
まとめ:奇妙な実験がもたらした科学的成果
「微小重力下でネコを落とす」という突飛な実験は、一見無意味に思えるかもしれません。しかし、その結果はネコの優れた姿勢制御能力の解明につながり、さらに宇宙飛行士の安全確保という現実的な課題の解決にも貢献しました。
人類の探求心とネコの柔軟性が交差したこの実験は、科学の意外な応用力を示す好例と言えるでしょう。