【張作霖爆殺事件】 日本軍による暗殺とバレた銭湯でのマヌケな失態
ー前略ー
・日本と蜜月関係にあった満州の大軍閥・張作霖
その頃、東北地方つまり満洲の大軍閥として君臨していたのが張作霖でした。満洲には小軍閥はたくさんありましたが、
全体はこの張作霖がおさえていたのです。
やがて張作霖の東北軍と国民党軍が対峙しはじめるのですが、日本としては、満洲をなんとか勢力下に置きたいために、
張作霖をうまくおだてて言うことをきくようにしておこうとさまざまな工作をします。
また張作霖も、国民党軍と戦うのに日本軍の後押しを期待しましたから、ここで一種の蜜月時代が少し続きました。
すると張作霖はいい気になって大元帥と自称して北京まで進攻し、日本軍の後ろ盾で北京政府までつくってしまいます。
・暴走する張作霖に、日本政府が水面下で手を下す
ところが、威張り出したこの大元帥がだんだん日本の言うことをきかなくなってきたのです。
こういう時、つまり役に立たなくなった時点で張作霖を亡き者にした方がいい、さもないと満洲の安寧は保てない、
と日本は大正10年(1921年)、原敬内閣の時に方針を決めていました。
昭和3年(1928年)、?介石の国民党軍と衝突して敗れた張作霖が、北京から逃げてくるという情報が入ります。
ここで従来通り張作霖を後押ししてまともに国民党軍と衝突するのは非常に危険だろう、むしろ張作霖を排除して満洲を日本軍自ら
統治するかたちにしてしまおう、という計画が陸軍で密かに練られます。
そんな折、張作霖が北京から奉天(現在の瀋陽)へ逃げ帰ってくることがはっきりし、ならばその列車を爆破しようと関東軍の
参謀らは考えました。
6月4日のことでした。まさに張作霖の列車が奉天付近に辿り着いた時に、線路に仕掛けられた爆薬が爆発してあっという間に列車が
燃え上がり、張作霖は爆殺されてしまいます。もちろん関東軍は、自分たちの陰謀でやったことにはせず、
現場で死骸として見つかった阿片中毒の中国人二人のしわざにするつもりでした。
張作霖が爆殺された現場(写真:近現代PL/アフロ)
ところが、ずさんな計画はすぐにばれてしまうのです。
というのもこの二人は前日、奉天の銭湯で「明日おれたちはでかいことをやるんだ」などと吹聴し、多くの人たちがそれを聞いていた。
この連中が自分たちで死ぬようなことをするはずがない、金をもらってやったに違いない、では誰がやったんだということになると、
後ろに関東軍がいるのはすぐに察せられるわけです。
張作霖暗殺の元凶が日本軍だとばれると世界的な大問題になりますから、関東軍は「われわれは関知しない」と押し通します。
しかし現場の状況などから日本軍の謀略であることが徐々に明らかになってくる。
しかし、決定的な証拠はありません。軍閥の大将である張作霖は、対立する軍閥や敵の国民党軍などに狙われる理由は
たくさんありますから、阿片中毒の二人がその方面から金をもらってやった、とごまかしはいくらでもきいたのです。
・異変に気付いた西園寺公望が動く
ただ常識的に考えるとどうもおかしい。それに最初に気づいたのは、元老(げんろう)の西園寺公望(さいおんじきんもち)
という人でした。元老というのは、天皇陛下の側近でいろんな相談にのる、内閣総理大臣経験者のことです。
「西園寺さん」とよばれて明治時代に活躍した彼は、昭和に入ってからも現役で、ふだん静岡県興津(おきつ)に住んでおり、
東京へ出てきては、明治34年(1901年)生まれで当時26歳という若さの昭和天皇にいろいろ助言をしていたのですが、
その西園寺さんが、「さては陸軍がやったな」と感づきました。
ー後略ー
全文はソースから
JBpress 2025.2.16(日)
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/86598
引用元: ・【張作霖爆殺事件】 日本軍による暗殺とバレた銭湯でのマヌケな失態 [2/16] [仮面ウニダー★]
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