なぜ靖国神社に国民的英雄である乃木希典や東郷平八郎は祀られていないのか…意外と知らない理由

右派は「美しい国」だと誇り、左派は「暗黒の時代」として恐れる。さまざまな見方がされる「戦前日本」の本当の姿を理解することは、日本人に必須の教養と言えます。
歴史研究者・辻田真佐憲氏が、「戦前とは何だったのか?」をわかりやすく解説します。
引用元: ・なぜ靖国神社に国民的英雄である乃木希典や東郷平八郎は祀られていないのか…意外と知らない理由 [662593167]
■招魂社から靖国神社へ戦死すると神社に祀られる──。こう聞いてまっさきに思い浮かぶのは靖国神社だろう。では、能久親王や永久王も靖国神社に合祀されたのだろうか。
その答えは、戦前はノー、戦後はイエスとなる。どういうことか。この謎を取っ掛かりに、靖国神社の祭神と神話との関係についても考えてみたい。
そもそも靖国神社の歴史は、1869(明治2)年6月にさかのぼる。長州藩出身の兵部大輔・大村益次郎(おおむらますじろう)の尽力により、東京の九段坂上に東京招魂社が創建され、戊辰戦争の戦没者が合祀された。
すでに前年、京都の東山霊山に招魂社が創建され、ペリー来航以来の国事殉難者(尊王攘夷の志士など)が合祀されていた。新政府が東京に移されたことにともない、東京にも招魂社が設けられたのである。
招魂とは、国事殉難者や戦没者の魂を招き、慰めることをいう。一時的な催しとしての招魂祭はすでに行われていたが、招魂社はそのための恒久的な施設だった。
そしてこの東京招魂社が、1879(明治12)年6月、靖国神社に改称された。現在、同社の外苑に大村益次郎の銅像が建っているのはこのような事情による。
■御霊信仰を取らなかった靖国神社そんな靖国神社は現在、約246万柱の祭神を合祀する。その内訳は、(1)ペリー来航以降の幕末の国事殉難者、(2)戊辰戦争・西南戦争などの内戦戦没者、(3)日清戦争から大東亜戦争までの対外戦争戦没者に大きく分けられる。
戦後、いわゆる「戦犯」として処刑されたものなども合祀されたため、もう少し複雑になってしまったが、戦前はこの三者が中心だった。
日本には古来、御霊(ごりょう)信仰というものがある。不幸な事故で亡くなったものは、敵味方の区別なく怨親平等に慰霊しようという考えだ。だが、靖国神社はこれを取らなかった。まず敵を排除したうえで、味方についても立場や最期の様態によって合祀するかどうかが厳しく審査された。
このような審査は、所属部隊からの報告にもとづいて、原則として陸軍省と海軍省で行われた。そこで通過したものが、天皇の許可を得たのち、靖国神社に合祀された。
軍人だけではなく、軍属や民間人も対象となったが、軍人以上に判定は厳しかった。とくに民間人はきわめてまれだった。軍人でも、平時の事故死などは対象にならなかった。また時代に応じて、病死者や自決者などの扱いが異なるケースもあった。
そうした事情もあり、有名な軍人でも意外と靖国神社に祀られていなかったりする。日露戦争で活躍して、国民的な英雄となった乃木希典や東郷平八郎もそうだった。乃木は明治天皇に殉死し、東郷は病死した。いずれも平時の死亡だったため、かれらはそれぞれ乃木神社、東郷神社の祭神になっているものの、靖国神社には祀られていない。
もちろん、戊辰戦争や西南戦争で賊軍となった会津藩の白虎隊や西郷隆盛なども祀られていない。
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